世界遺産タイル|シルクロード・ウズベキスタン陶芸ギャラリー

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ウズベキスタンのペルシア陶器
シルクロードのイスラム陶器とは、中央アジアのペルシア陶器のことであり、それを現代の地理にあてはめるならば、「ウズベキスタン陶器」で一括りにすることができます。ペルシア陶器の文化圏にあったウズベキスタン陶器を、独自の歴史に翻って紐解いてみると、その起源は紀元前3500年に農耕民の集団移動で西方から東方に彩陶文化が伝入し、紀元前2000年末から紀元前1000年半ばのアムダリヤ川とシルダリヤ川の中間地帯に形成された「バクトリア」、「ソクディアナ」、「ホラズム」という文明体によって、古代の美術工芸が各地へ伝播し発展することになりました。
《アフラシアブ(サマルカンド) 10世紀》
古代都市に生まれたウズベキスタン陶器の歴史
●ウズベキスタン陶器の歴史
前3500年 ■農耕民の移動により彩陶文化の伝入
前329年 ■アレクサンドロスの中央アジア遠征によってヘレニズム文化の影響を受ける
7世紀 ■アラブ軍が中央アジアを占領し、イスラム文化が芽生える
8〜9世紀 ■マワラーアンナフルの諸都市で施釉陶器が作られる
11〜12世紀 ■施釉や着彩などの製陶術が発展し、幾何学文様が描かれるようになる
14世紀 ■ティムール帝国が成立すると、カシナ粘土で碧青陶器が作られる
15世紀 ■首都サマルカンドを中心に、装飾タイルの建築文化が最高潮に達する
18〜19世紀 ■施釉陶芸の流派が形成される
20世紀 ■ソ連邦の成立で陶芸文化が衰微する
マケドニアのアレクサンドロス大王(紀元前334年〜326年)の中央アジア遠征により、アケメネス王朝は衰退し、ウズベキスタンとタジキスタンの古代美術はヘレニズム文化の影響を受けることになります。アフラシアブ遺跡などから発掘された型押しテラコッタ像はギリシャ美術がこの地に浸透したことを示していて、中央アジアの古代製陶術においてもヘレニズムの受容があり、遺跡からは典型的なギリシア陶器が出土しています。

クシャン朝時代にはガンダーラ美術が開花し、紀元前後の中央アジア南部には仏教が広まりました。中央アジアの中世初期の製陶では、すでにロクロを使って優美な曲線のフォルムを形作り、赤色や黒色の化粧土がかけられ、部分的に山羊や羊などの動物がモチーフとして描かれています。

7世紀中期、ペルシアがイスラム化すると、アラブ軍は中央アジアを侵略します。このときから中央アジアにイスラム文化が流入するわけですが、マワラーアンナフルの諸都市において、器に釉薬をかけて作る施釉陶器は8世紀末〜9世紀初期に始まり、11世紀〜12世紀にかけて製陶の芸術的完成の域に至ります。施釉陶器の中心都市は、アフラシアブ(サマルカンド)、シャシ、フェルガナ、チャガニヤンなどでした。
ラスター彩「ミナイ」深鉢《イラン 11世紀〜12世紀》

この時代の陶器には、クーフィー書体の文字や植物文様、民話の動植物で装飾されるようになり、施釉や着彩の面で中央アジアの製陶術が飛躍的に進化します。アフラシアブ遺跡から発掘された陶器には、植物の芽、花、ザクロの実、チューリップ、バラなどの植物の絵柄が主なモチーフで、文字、鶏の尾、口ばしなども描かれています。そして、もう一つ特徴的なのが、格子、方形、三角形などの幾何学文様が見られる点です。陶器の絵柄に連続性、複雑性が生まれたことは、アフラシアブに数学の発展があったことを示していて、幾何学文様は建築の装飾にも用いられるようになりました。

13世紀初期になって中央アジアはモンゴル帝国の侵攻で荒廃しますが、14世紀後期になってティムール帝国が成立するようになると、サマルカンドを首都とした中央アジアの黄金時代が到来します。製陶においては、東アジアの陶磁器の影響を受けながら、カシナと呼ばれる土着の陶土を素材にした碧青陶器が作られます。これはブハラ、シャフリサブス、ウルゲンチなどの各都市にも広まりました。
《アフラシアブ(サマルカンド) 10世紀〜12世紀》

15世紀の美術工芸は、「ティムール帝国様式」、「ティムール陶器」と呼ばれるのは、この時期に高度な文化の成熟があり、特に建築は最高潮に達していました。ティムールの生まれ故郷であるシャフリサブスのアク・サライ(夏の宮殿)は、床一面に青のタイルが敷き詰められ、レギスタン広場の建築群やビビ・ハヌム・モスクなどを絢爛豪華な装飾タイルで飾りました。特にティムール一族の墓廟群であるシャーヒ・ズィンダ廟は、無釉レンガ、施釉レンガ(パンナーイ)、モザイク・タイル、クエルダ・セカといった装飾タイル建築の技法がすべて使われています。

●ウズベキスタン陶芸の流派(18〜19世紀)
◎碧青釉陶フェルガナ流派 リシタン
■グルムサラエ
(以下タジキスタン)
■ホージェント
■カニバダム
■チュルク
■ウラチュベ
◎黄釉陶ブハラ・サマルカンド流派 ■ギジュドゥヴァン
■ウバ
■ブハラ
■ウルゲンチ
■サマルカンド
■シャフリサブス
■キタブ
■デナウ
◎碧青釉陶ホラズム流派 ■ヒヴァ
17世紀後期〜19世紀初期にかけて、アムダリヤ川とシムダリヤ川に挟まれた地域に、ブハラ・ハン国、ヒワ・ハン国、コーカンド・ハン国が建国されます。ティムール時代の手法を基礎にして、各地域独自の美術工芸を発展させてゆきます。施釉陶芸の流派が誕生するのは18世紀〜19世紀で、碧青釉陶フェルガナ流派、黄釉陶ブハラ・サマルカンド流派、碧青釉陶ホラズム流派が形成されました。

中央アジア、ひいてはウズベキスタンの陶芸の歴史において、施釉陶芸の流派は現代にも存続していますが、20世紀を挟んだ文化継承は過酷なものがありました。ソ連邦の成立によって共産党独裁体制に組み込まれたウズベキスタンは、計画経済のもと集団化され、1930年代には各家での製陶が禁止されるようになり、中世的な職人体系を解体させられてしまいます。しかし、それでもウズベキスタンの陶工たちは、弟子である息子に流派の製陶術を語り継ぎ窯の火を守ったことで、今のイランやアフガニスタンでも潰えてしまったようなペルシア陶器の原形が、シルクロードの陶郷に残されることになったのです。

《アフラシアブ(サマルカンド) 10世紀》 《アフラシアブ(サマルカンド) 10世紀》
《アフラシアブ(サマルカンド) 10世紀》 《アフラシアブ(サマルカンド) 10世紀》
《アフラシアブ(サマルカンド) 10世紀》 《アフラシアブ(サマルカンド) 10世紀》

【参考図書】加藤九祚監修『偉大なるシルクロードの遺産展』(キュレイターズ)
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