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オアシスの庭、タシュ・ハウリ宮殿 |
| 18世紀から始まったヒヴァの建築文化の精華は、19世紀のタシュ・ハウリ宮殿で最高潮に達します。10世紀前後から技術的発展があったペルシア・タイルの歴史やイスラム世界を覆い尽くした幾何学文様の伝統も、タシュ・ハウリ宮殿で芸術的完成を見るのです。アッラークリ・ハーン時代の1832年〜38年に、3つの中庭と163の部屋からなる新宮殿が建てられました。タシュ・ハウリとは、ウズベク語で石の庭を意味しますが、石畳で造られた3つの中庭は、ハーンの私的な空間だった「ハラム」、謁見の間だった「イシュラット・ハウリ」、即席裁判を行った「アルズ・ハウリ」があります。 |
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バルコニーの軒を支える精緻な装飾が施された木彫柱アイワーン |
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無尽蔵の装飾タイルで埋められたハラム |
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アラビア語で聖地を指す語の「ハラム」は、トルコ語で「ハレム」、アラビア語では「ハリーム」といいますが、イスラム社会においては、家族以外の立ち入りが禁じられた場所としの意味を持ち、建築的な呼び名にすると女性の居室ということになります。外出時にヴェールを着用するのと似ていて、女性は倫理的な理由で特別な居室を設ける宗教的慣習がありました。
イスラム教では「コーラン」を法源にした一夫多妻制というイスラム法制度があります。男性は4人まで妻を娶ることができ、異教徒を妾としていても使用人として扱うため4人以上の女性を囲うことができました。コーランによれば、夫は妻を保護し扶助を与える義務があり、妻の間に差異を設けてはならないという厳格な規定があります。戦乱が耐えなかったイスラム世界では、男性の人口が減ることによる経済的扶助手段と女性の結婚する権利を重視する目的で、一夫多妻制が行われました。

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左にハーンの間があり、そこから4人の正妻の間が並んでいる |
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タシュ・ハウリ宮殿の3つの中庭のうちの1つであるハラムは、イスラム法の婚姻制度が示すとおりの空間構成になっていて、南側にハーンと4人の正妻の部屋があり、向かって北側の2階に40人ほどの妾たちの部屋があります。中庭の中央には井戸があり、その並びの囲いには、古くに樹木が植えられていました。 |
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木彫柱がアラベスク空間に奥行きをもたらす |
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| ハラムにあるハーンと4人の正妻の間は、幾何学文様の施釉タイルで壁面装飾され、木彫柱アイワーンを中央に立て、天井は木製の彩色装飾で飾られています。ヒヴァの建築は、「木製彩色天井装飾」(ヴァッサ)が素晴らしい出来映えで、「木製彩色回り縁」(シャラファ)がない代わりに施釉タイルが使われている点が大きな特徴です。 |
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| ハーンの間の木製彩色天井装飾 |
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ホラズム・ヒヴァの華麗なる装飾タイル文化 |
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ヒヴァのイスラム建築では、カルタ・ミナールのように単色の施釉煉瓦で幾何学文様の装飾壁面を作っている例と、タシュ・ハウリ宮殿のように灰白色の下地に藍青色とターコイズ・ブルー(トルコ・ブルー)で絵付けされた施釉タイルに飾られた建物が見られます。施釉タイルの絵柄は、「幾何学文タイル」、「植物文タイル」、「唐草文タイル」、「文字文タイル」の4つのパターンがあります。
ウズベキスタンの他の都市の歴史的建造物と比較してみると、サマルカンドで見られる浮き彫り施釉テラコッタがない点、ブハラで多用されているファイアンス・モザイクがない点などが上げられます。施釉タイルの絵柄でいえば、15世紀のブハラで「幾何学文タイル」、テルメズで「唐草文タイル」が描かれていたことは確かですが、幾何学文様を主とした絵柄のパターンの豊富さと完成度の高さは、どの都市の歴史的建造物にも見られないヒヴァ独特のものです。
ホラズムの装飾タイルの歴史は、クフナ・ウルゲンチを首都としてイスラム文化が発展したホラズム・シャー朝の12世紀を起源とし、15世紀のティムール朝において、シャフリサブズのアク・サライ建設でホラズムのタイル職人が活躍しました。18世紀にヒヴァ・ハン国のもと碧青釉陶ホラズム流派が形成され、19世紀に中央アジアのイスラム建築で最も美しく飾られたタシュ・ハウリ宮殿の完成に至ったのです。
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| 正妻の間の「唐草文タイル」 |
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| 正妻の間の内部壁面装飾 |
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| タシュ・ハウリ宮殿のディテールについては、「世界遺産タイルの家を建てる」のページをご覧ください。 |
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